Number.9
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2月19日(旧1月13日)・・・そうこうするうちに苔野(kokeno)という小さな村に着いた。この村にはソバから作った一種のうどんで旅行者の間に名がある。それはソバ切り(Sobakiri)といってたいへん栄養に富んだ食物で、醤油の汁・ワサビ・トウガラシ・ネギなどでよい味がする。農夫はこのあたりでは一般に穀物をひくのに一種の唐箕(とうみ)を使っているが、それはわが国のものと同じ方式である。私が聞いたところでは、この有益な農機具はオランダ人が導入したのだという。この機械を米通し(Kometosi)あるいはモミ車(Moni-kuruma)ともいう。われわれはここでまた非常に簡単にできている碾臼(ひきうす)を見た。この臼は、回転軸の端に嵌歯車を備えた汲水車からできている。その歯車は上部の臼石の上にある木製の変速歯車にかみあい、上臼が回る。穀物は縁が高くなっている上の臼に投げこまれ、穴を通って下臼の上にゆき、ふたつの石の間ですり砕かれ、下石のまわりにある箱の中で篩われ、そしてまだ穀粉を含んでいる糠はもう一度臼にかける。水桶も同じく簡単で、木で作った桶が水を上掛け式水車に導き、汲み桶がいっぱいにあると水車を動かす。水車小屋は藁葺きの屋根で、水車の機械はむき出しのままその中にある。風車は日本にはないが、牛や馬でひく臼はたぶんあるだろう。 「江戸参府紀行」は1826年2月15日にシーボルトの一行が出島を出発して、同年7月7日(旧6月3日)に帰還するまでが日記形式で記されています。 |
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スヴェン・ヘディンが書いた旅行記のなかに、キャラバンを組んだ際、雇い入れた人たちのなかに、数人のタタール人がいたと記憶します。ただ、メモとして書かれた以上の記述はありません。このタタール人については江戸参府紀行の解説記事に詳しく書かれていました。「北モンゴルのセレンガ川からケルレン川方面にかけて遊牧していたモンゴル種の部族である。やがてモンゴル高原の支配者となると、タタールの名は東西にひろがった。漢籍には韃靼と記されている。ジンギスカンがこのタタール部族を滅ぼすと、モンゴルと代わったが、中国・西アジア・ロシア・ヨーロッパではモンゴル人を依然としてタタール人と呼んでいた。ヨーロッパではオスマン・トルコを除くすべてのトルコ人をひろく指す呼称となった」。
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日々是好日 にちにちこれこうにち 来る日も来る日も毎日が人生最良の日である。 人生は単に楽しむものではなく味わうものであり、 しかも悲喜苦楽みな人生の味わいである。 解釈はさまざま。 |
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喫茶去 きっさこ |
参考:「南坊録」に「掛軸ほど第一の道具はなし、客・亭主供に茶の湯三昧の一心得道の物也。」とある。これは茶室の掛物が単なる装飾ではなく、その茶会の趣向の基調を暗示し、一座する人々の精神的な共通の場を提示するものであることを明確に指摘し、茶室における掛物の役割と重要性を的確に表現した名言である。しかも、「南坊録」の筆者は、これに続けてさらに、掛物にもいろいろあるが、「墨跡を第一とす」と強調し、墨跡すなわち禅僧の揮毫した書こそは、あらゆる茶道具のなかで最高の道具であると力説している。 |
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![]() 高麗橋にある里程元標 |
筋違(すじかい)橋は高麗橋筋から江戸堀1丁目にかけて、筋違いに架けられているため、その名がつけられた。この碑文の左にある親柱は、昭和3年に筋違橋が架け替えられた時のものである。 |
Chaemo: 蕎麦釉 - 焼くと黒地に黄緑色の結晶が析出する釉薬
三段なぞ ![]() |
二重の問いに対しての答がカケとトキとココロの三段で構成されたナゾ。享保元年(1751年)喜多村信節の随筆「均庭雑考」に、「西河祐信三つ輪絵尽、麺類の汁と、隠して色茶(屋脱カ)へ行くが同じ事、是を端午のぼりといふ。心は、だしがいります」とある。 蕎麦に関連したものをみてみると、 蕎麦とかけて与市兵衛(よいちべい)の五十両ととく 心は子(粉)を売(打)ってこしらえ。 与市兵衛=仮名手本忠臣蔵の人物。娘おかるの夫早野勘平の忠義の為、おかるを祇園に売って金を作るが山崎街道で斧定九郎に殺されて奪われる。 蕎麦とかけて、安い帯地ととく。心はのびると切れる。 蕎麦とかけて、両国の人通りととく。心は橋(箸)へ掛けてぞろぞろ 蕎麦とかけて、高利の金ととく。心はのびてはいかぬ。 蕎麦とかけて、約束の日限と解く。心はのびてはならん 蕎麦屋の手間取(てまどり)とかけて、鬼子母神ととく。 心は粉(子)だらけ。 鬼子母神は子の多い神さま 繁盛のうんどん屋とかけて、平家の一族ととく。心は盛が多い (平家は二十四盛などといって、盛とつく名が多い。) 引臼とかけてなま酔(よい)ととく、心は(舌)が回らぬ |
しゃれことば ![]() |
「其渡し守は秀句を好めば、薩摩の守也といふべし。 心はと尋ねたらばただののり也と申せよとて別る」 蕎麦粉のうどんで長くは続かない 蕎麦に小豆は煮てもつかん 蕎麦屋の嬶(かか)で出し方一方 (出す一方で、はいって来ない、出費ばかりで収入がない) 蕎麦屋の徳利でくくりつけ 蕎麦屋の湯桶で角(すみ)から口を出す (隅っこの方から口を出すうるさい奴だ) 引き臼でしんぼが鉄(かね)じゃ 辛抱が金(辛抱がたいせつ)という洒落。 |
考え物
この鳥はかってもせわがない |
![]() ありがたき戸ざさぬ御代のためし には弓もつかねておさめいるなり ヒント:東海道宿名二ツ考 答え:袋井 島田(袋イしまった) |
無理問答 ![]() |
問:客に蕎麦を約束して手打ちにしようとは如何に 答:快く二八うぃ愛してけんどんといえるがごとし けんどん:盛り切りの食べ物。けんどん蕎麦。 けんどんは「つっけんどん」の意。 二杯目をすすめるような愛想をしない食べ物屋のこと。 問:麺類を入れる箱を舟とは如何に 答:饂飩や蕎麦を刻む音はちょきちょき猪牙といえる がごとし。 問:米を入れて精(しら)げながら碓(空)から臼と は如何に 答:一斗たらず入れて千石通しといえるがごとし 問:古(こ)渡りの茶碗を名付けて井戸とは如何に 答:目利者の安く買取って掘出したといえるがごとし |
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むだ口 角成るからは是非もなし 御免 素麺うでたらにゅうめん 恐れ入谷の鬼子母神(きしぼじん) おっと北野の天満宮 酒に酔って件(くだん)のごとし 三度に一度は負けずばなるまい しまって翁草 しょうがなければ茗荷がある 百も承知二百も合点 そうで有馬の水天宮 そうは奈良人形 |
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助六由縁江戸櫻 すけろくゆかりのえどざくら
揚巻「モシ、そふしてお前が望みの品は手に入ましたか」助六「よろこべ、友切丸は手に入た」揚巻「そりやお手に入まいたか、エ、嬉しや嬉しや」助六「この上は一時も早く立退ふ。それ」(ト行ふとする)揚巻「モシモシ、この郭は大勢が囲んで居れば、落さんす道はないわナア」助六「幸いのこの梯子、家根伝ひに」揚巻「危ない危ない、怪我さんすナ。(ト助六、梯子、梯子の中程へあがる)モシ、そんなら私や、西河岸の方へ回って居る。田圃のほうへをりさんせ、助六さん」助六「揚巻」「両人「さらば」(トよろしく身支度をする)助六「まづ、今日はこれ切」(ト目出度打出し) |
![]() 索麺師 寛政7年版(1797年) |
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![]() 麺類売り 元禄3年版(1690年) |
暫 しばらく 新鹿島社頭の場
奴一「吉例かはらぬ芝居の正月、一番馬に魁て」奴二「渡り拍子の鳴物にて、同じ出立の一対奴」奴三「ふって振り出す花鎗の、赤きは酒の呑仲間」奴四「大手馬場先下馬先の、にしんの煮つけ筒茶碗」奴五「ぐっと一杯二合半、ぶん抜き釘抜き看板に」奴六「寒の師走も日の六月も」奴八「名を取り毛よりあたらしく、けふを花なる伊達道具」奴一「勇みいさんで」八人「捻ぢこむべいか」(ト渡り拍子にて、上手幕の影へは入る。知らせに付き、道具幕切て落とす) |