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当社入口にある石柱は、以前西横堀川の新町橋に架かっていました。高速道路をつくる際、撤去されるところを大阪市から払い下げをうけました。 新町橋近くには涼しさに四つ橋を四つ渡りけり と詠まれた四ツ橋があります。 |
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水の都大阪には橋がよく似合います。 だれにもお気に入りの場所があります。三休橋筋を抜け、大川をこえた中央公会堂あたりの景色、夕暮れ時の淀屋橋の橋の上から眺める水晶橋。 なぜか心がなごみます。さて、大阪は八百八橋と呼ばれます。現在でも八百ほどの橋があります。大阪の町は堀を縦横にきることで拡大発展します。橋は必然的に多く架けられました。江戸時代、大阪は天領地。橋の修理、掛けかえは町人に委ねられました。杭倒れの云われです。「お上はなんにもしてくれへん。自分でやるしかない」お上に対しての反骨精神はこんなところから芽生えます。 |
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大阪の人間なら橋の名前を聞いただけで、その場所がどのあたりかがわかります。ここで、ちょっと三十石舟が通過した橋を航路を順にたどってみましょう。通常三十石舟の航路は京都伏見から大坂天満八軒家までをいいますが、日本橋仕立てというのがあります。日本(にっぽん)橋北詰めの船着き場から道頓堀を東へ進み、大和橋を左折東横堀に入り堀を北上して淀川に出ます。その間、上大和橋、瓦屋橋、九之助橋、末吉橋、安堂寺橋、久宝寺橋、農人橋、本町橋、思案橋、平野橋、高麗橋、今橋 を抜け、毛馬(けま)から淀川に出ました |
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新町橋の番付は西之方前頭二枚目 |
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もう処分されたと聞いていましたが、新町橋はちゃんと保存されていました。(平成七年に整備されるとあります)以前橋が架かっていたまさにその場所にありました。 四つ橋線新町1南の交差点を右折、阪神高速1号環状線下の大阪市営駐車場横 |
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人は橋を目当てに集まり、待ち合わせ、散っていきます。それぞれの離合集散を見てきたはずです。 |

